東京駅の八重洲のブックセンターが営業終了になるらしいので、折角なので銀座に行ったついでに立ち寄ってみた。しかし、残念ながら「力と交換様式」の在庫はなかった。
Amazonの以下のような書評がちょっと気になっていた。
「歴史学者という病」の一節を読んで、以前からずっと「唯物論」というのがよく理解できなかったのだが「唯物論=マルクス主義」というか「マルクス教という宗教の信者がたくさんいただけ」ということにいまさら気づかされて、なんだか少しスッキリした。
唯物史観とは、生産構造こそが社会を支え、生産構造の分析こそが社会を豊かにするといった「哲学」に則る。生産構造と階級闘争、つまり異なる生産構造を持つ主体の対立が階級として現れ、この階級の闘争の積み重ねこそが歴史であるという理解に落ち着く。(中略)
唯物史観を離れて実証へ向かった先生方は存在する。ただし、当時の主だった歴史研究者は、ほぼ全員が唯物史観に近い立場であったことは事実である。
モノの「交換様式」というやつは「肝」であるようだ。
縄文イデオロギーを共有し、それゆえ「外部」を持たなかった縄文時代の日本列島の社会に、商品交換は存在しませんでした。しかし、弥生文化が成立すると...
縄文から弥生になって芸術レベルが格段に落ちたのは明らか。土偶と埴輪では勝負にならない。
ちなみに遮光器土偶は「里芋の妖精さん」説はまさに目から鱗。
妖精といえば「山田五郎 オトナの教養講座」で17世紀のイギリスでも大ブームだったといっていた。
ハリーポッターも伊達ではない。
リチャード・ダッド「お伽の樵の入神の一撃」 |
人類は「交換様式」で失ったものも大きそうだが、資本主義は「シンギュラリティ」に到達しつつある。ちょっと前まで、そんなのいつ来るの?という雰囲気だったけれどもChatGPTのインパクトは大きかった。
どうして急に発展したのか。
「ムー」関連の動画の保江邦夫氏の話が面白すぎるので、図書館でみつけた著書を読んでいたら「ロシアで宇宙人に教えてもらいUFOを組み立てたが、科学者がやったのではだめだった。シベリア奥地の自然と共生して生きるアナスタシアの人たちの手を借りて、魂を込め組み立てたら動いた」というくだりがあった。
「交換様式」により一般の私たちが失ってしまった力は、計り知れないものなのか?
昔、TEDでみて感銘を受けたプレゼンテーションを思い出した。冗談半分の話かと思ってきていたが、そうではなさそうだと思うこの頃。
https://www.ted.com/talks/wade_davis_dreams_from_endangered_cultures/transcript?language=ja
どうやって8万種もの維管束植物から 彼らは形態的に無関連の2つの植物を探し このように組み合わせると 単独の効果を足した以上の効果がある という 生化学的事実を見出したのか? 私たちは ほぼ無意味に近い 大変遠回りな 試行錯誤を行って実証します。 でもインディアンに聞くと
「植物が語りかけてくる」と言います。 どういうことでしょう? このコファンの部族は17種類の
アヤワスカを持っていて 彼らは森の中で
遠くから それを見分けますが 私たちの目からは
それらは全て1つの種に属します。 どうやって分類法を確立したのか と聞くと 彼らは「君は植物に詳しい
と思っていたのに何も知らないの?」 といいます。私は「知らないんだ」と 彼らは17種類のそれぞれを満月の夜に採ると それぞれ別の音で歌いかけてくるから分かると言います。
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